ライオンズの歴史に名を残した守護神が、現役引退を決断!と話題になっています。
増田達至投手の引退の理由と、「温和な守護神」と言われる人柄についてまとめてみました。
増田達至のプロフィール
まずは増田達至(ますだ たつし)投手のプロフィールをご紹介します。
生年月日: 1988年4月23日(36歳)
出身地: 兵庫県洲本市
所属: 埼玉西武ライオンズ(投手)(リリーフ)
家族: 奥さんは増田(高木)麻友。子供が二人。
得意技: 「真っスラ(マッスラ)」
真っスラとは?
真っ直ぐ(直球)とスライダーの中間的な変化をする球種。 通常のスライダーよりも速く、打者の手元で鋭く曲がると言われています。
1988年生まれは「ハンカチ世代」「マーくん世代」と呼ばれています。
貴重な才能がたくさん花開いた88年組なのですね。
同期には同ライオンズの秋山翔吾選手、
福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手,
千葉ロッテマリーンズの石川歩選手がいます。
リリーフとは、先発ピッチャーが降板した後に登板するピッチャーのことです。
先発ピッチャーを救済するポジションなのですね。
試合を決定付ける回などの場面で登板する「抑え」
先発と抑えの間の回を投げる「中継ぎ」として活躍されました。
クローサー(最終回に登板して試合を締め括る)としての経歴もあり、
チームを勝利へ導く大事なポジションを任されていたことがわかります。
以上のことから「守護神」と呼ばれているんですね。
増田達至の引退の理由は?
増田達至さんの引退の理由は、成果が思うように出せなくなった状況と球技の衰えが推測されます。
なぜなら、増田達至さんは以下のような状況にありました。
延長戦で投げるとサヨナラ負けを2回喫するなどして2軍降格し、
その後も炎上した試合が増えていたこということです。
また、その理由として得意のストレートの衰えが顕著になったことが指摘されています。
それが「ここ数年、思うように投げられない自分がいた」という本人のコメントにも繋がっていますね。
ここ数年、思うように投げられない自分がいました。そんな時でも観客席から送られる熱い青炎に感謝を感じるとともに、もっとチームに貢献したい、皆さまと喜びを分かち合いたいと、僕の胸の闘志を掻き立てられました。
西武ライオンズ公式HPより
増田達至の人柄は自称「地味」?
増田達至さんはご自身の人柄を地味と称しているようです。
人柄についてもみていきましょう。
自身を「地味」と語る
増田達至さんは「ライオンズ史上最も温和」な「守護神」と評されています。
というのも以下のように記事(2018年)で語っているからです。
あくまで大切なのはチームの勝利だと話す。
「試合を作った先発投手や決勝打の選手がヒーロー。だから、僕は目立たなくていいんですよ」
プロ野球PRESS より
侍ジャパンの候補に名前が挙がったこともあるが、最終選考には残らなかった。そのことを増田に尋ねると、複雑そうな表情になった。
「もし選んでいただいたとしても、たぶんチームに溶け込めないで終わる気がします、ハハ。目立ちたい欲? 全くないですね。僕、地味ですから。誰にも取り上げられずにひっそりと終わりたいです」
プロ野球PRESS より
謙虚で控えめな姿勢が伝わるインタビューですね。
なんだか好感が持てる気がする人も多いのではないでしょうか。
NICUに寄付をしていた?
増田達至さんは2018年からNICU(新生児集中治療室)病棟がある2カ所の病院に寄付する活動を続けています。
また、毎年NICU病棟の子供たちを訪問し交流しています。
増田達至には二人の子供がおり、二人とも難産だったためNICUに入っていたそうです。
そのことがきっかけで支援を始められたそうです。
ファンからも寄付を応援するメッセージや、素晴らしい!というメッセージが見受けられます。
きっと子供やその両親たちにも元気を与えてくれていますね!
その時のインタビューはこちらです。
https://www.facebook.com/seibulions.official/videos/1205_masuda/1799565813680506
ご自身の経験の中で身をもって感じられたことがあり、支援活動をされているのですね。
まとめ
増田達至さんは自分より他人を大切にするような人であったそうですが、想像できますね。
今後はライオンズに残って指導者の道を歩むのではと言われています。
ライオンズ一筋で素敵です。
引退試合は9月28日だそうです。
気になった方はご覧になってはいかがでしょうか。